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前回は、購入する品物と別のものを購入しているケースでしたが、今回は利用価値が分らなくなっているケース。
中国人の友人が、公園の脇にある花壇に、ある草を見つけました。ヨモギでした。恥ずかしながら筆者には区別がつきません。葉の裏が白いものが食べられるのだとか。これは自生したのか誰かが植えたものなのか、と思いを巡らしつつ、そうか公園のそういう利用法があったのか、とも思ったりて。
 公園のヨモギ  ヨモギ
さらに、公園のすぐ近くの小学校で、彼女が見つけたのはこれ、ドクダミ。花が咲いています。ここまで育つともう食べられないそうです。
 ドクダミ
それから、同じ学校の花壇で、木に実がたくさん生っているのを発見。これは、クワの実。良く見ると、木の幹に「実は甘くて食べられる」と書いてあります。
 クワの実
それから、多摩川沿いで見つけた、ビワの実。誰も食べないなんて「もったいない」ということで、幾つかとって食べてみたら、美味しかったです。
 ビワの実
まだ小さかった頃、父が野の草を見ては「あれは食べられる」、と教えてくれたのを思い出しました。戦時中に食べるものがなかった父たちの世代は、どの草が食べられるのか身をもって知っています。あの頃は、まだその記憶が新しかったのか、食べ盛りの子どもたちの食費を浮かすためだったのか、父は庭の一部を耕して野菜を作っていたものでした。いつ頃からか、父は食べられる草の話をしなくなりました。そして、私は、その知識を受け継いでいません。
これは「もったいない」と思い、メンバーに、知識の伝承方法で世界に好事例があるか、聞いてみました。
すると、日本には「語り手たちの会」という全国規模のアソシエーションがあって、その会は「口承文化」を活字化することを活動の一端として行なっているという報告がありました。
今日では、全国の語り部が「語る」機会が極端に減っています。そのため、口承されていた知識が埋もれている例も少なくないようです。それに対して、埋もれた知識を掘り起こすために、語り部たちが再び語る機会をつくり、興味を持つ子どもたちや人びとがそれを聞くことのできる場を設ける活動も、少しずつ広がっているそうです。
前述の語り手たちの会では、40代〜50代の女性たちが多く活躍していて、語り部の「語り」を受け継ごうと全国各地で活動をしています。語りの中には、多様な草遊びの方法や、薬草の使い方をつづったものもあるそうです。(関連サイトを参照)
また、オーストラリアのメンバーが教えてくれたのは、アボリジニの点描画です。彼らの点描画は、一枚一枚がドリーミング神話の伝承や地図としての役割を果たしているのだそうです。詳細は関連サイトを参照してください。
メディアの機能とは
これらの二つの例は、今より古い時代のメディアの機能であるような気がします。メディアは、いつの時代でも色んなタイプの物語を語ります。そして、どんな物語にも、その社会で尊ばれる価値や社会の形が必ず示されています。その社会における成功と何か、美徳とは何か、大切にすべきことは何か、してはならないことは何か。
現代社会におけるメディアは、ニュースも、小説も、映画も、マンガも、TVドラマも、すべて、価値を語ります。そして、ごく短い広告にも、よく見ると物語が含まれます。そこで価値ある行為とされるのは、「購入すること」です。
私の父が食べられる草について語らなくなったのは、「ようやく戦争を忘れたから」というより、おそらくメディアの物語で示される価値が「作ること」や「見つけること」から「購入すること」へと変化したからではないでしょうか。そして物語は、私たちの日常生活を反映するものです。今日、私たちの多くにとって、食べ物は大地から得られるものではなく、スーパーやレストランで購入されるものになりました。
おそらく私たちが本当に、この知を継承するためには、大地から食べ物を生み出すことを、なんらかの形で取り戻す必要があるのかもしれません。
Vol.1 「世界のもったいないもの」
Vol.2 食べ残しの持ち帰りがダメだって!?
Vol.3 カーシェアリング・カープーリングとは?
Vol.4 土に還る容器「生分解性プラスチック」とは
Vol.5 コミュニティガーデンという試み
Vol.6 「もったいない」と文化~小さな自然を守るために~
Vol.7 家具や電化製品の交換(リユース)の仕組み
Vol.8 商品カタログ、ドレッシング
Vol.10 世界から消えゆく商店街
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