<3> 歓迎されなかった選挙 LTTEが事実上崩壊し、政府軍がスリランカ全土掌握を発表してから、4ヶ月が経とうとしている。現在も、戦火に家を追われた26万人以上のタミル人を中心とする人びとが、ヴァヴニアの避難キャンプで足止めをされたまま暮らしている。もともと、ヴァヴニアの人口は15万人ほど。そこに当初は30万人強もの国内避難民が送り込まれ、満足な設備もない中暮らしているのだから、彼らの肉体的・精神的な疲労は増すばかりだ。 いつ家に帰れるか分からず、政府軍の監視下に置かれながら集団生活をするストレスは相当なものだと想像する。衛生面も十分に管理されているとはいえない状況で、特に病気に対する抵抗力の低い子どもや老人の健康が懸念されている。既にUNICEFの報告では、キャンプ内のあちこちで麻疹(はしか)の伝染が確認され、ワクチンの供給が急がれているという。医療が充実していないところでの麻疹の発病は死にもつながる。 とにかく早急にひとびとを再定住させるべきだ、との声明が国連やNGOから出されているが、スリランカ政府は「地雷除去が済むまでは・・・」と人びとをキャンプに留めておく方針だ。実際には、LTTE幹部・兵士の洗い出しや武器の回収が目的だというのが大方の見方となっている。 そうして再定住が一向に進まないなか、8月8月に地方市議会選挙が行なわれた。北部では、内戦の怒りも悲しみも冷めやらぬジャフナとヴァヴニアで投票が行なわれた。両2市にとって、実に11年ぶりの選挙である。 これには、多方面から、選挙の前に再定住の目処を立てるべきだ、と批判の声が挙がった。しかし、LTTEへの強硬姿勢を評価されてきたラジャパクサ大統領は、高い支持を得るためにも内戦の熱気が引かぬうちに、と実施にこぎつけた。 これに対し、ジャフナの市民は静かに抗議の異を示した。投票権の放棄、という形で。 「選挙には行きませんでした。いまも、たくさんの人がキャンプの中で苦しい生活をしているのに、選挙について考えを巡らせることはできなかった…。それに、この選挙には希望がありませんでした。だから、投票しないことが、わたしたちのメッセージでした。」 と、内戦中もジャフナに留まっていた20代の友人は言う。投票権をもつ実に8割のジャフナ市民が、彼女と同じようにその権利を行使しなかった。結果、政府与党のUNFPが勝利したが、これは有権者21%の意志を反映したにすぎない。 一方、ヴァヴニアは50%の投票率で、タミル政党が勝利を収める結果となった。 <4> 抑えられる声 内戦中もジャフナで活動を続けていたPARCICの代表、井上礼子さんは、8月中旬にジャフナを訪問した際、ある知識人の友人からこう聞いたそうだ。 「これまでは、タミル人に対するなにかしらの敬意があったが、今後は一切なくなるだろう。政府内からもタミル人の声を代弁する者がいなくなった。多くの人が殺され、たくさんの犠牲を払ったが、タミル人の問題を持ち出すことはもう一切できなくなる。」 井上さんの報告によれば、以前は政府に対する集会やデモが、ある程度自由に行なわれていたジャフナ大学でも、そうした動きは一切みられなくなっているという。 報道に対する政府の視線も厳しくなっている。つい先日、あるタミル人のジャーナリストに対し、「民族間の敵対感情を煽る記事を書いた」として20年間の重労働刑が言い渡された。 英紙The Guardianによれば、このジャーナリストは扇情的な反政府記事を書いたことはなく、常に中立的な姿勢を保ちながらタミル人の置かれている状況を伝えていたという。国外からも優れた記者として評価されていた。 しかし、「タミル人の状況を伝える」ことそのものが、反シンハラ的でありタミル人の憎しみを煽る、と政府は捉えたようだ。 今回のあまりに厳しすぎる判決は、他のジャーナリストへの見せしめとなり、スリランカから報道の自由がなくなることも大いに懸念される。 また9月6日には、UNICEFの国代表、ジェームス・エルダー氏が避難民キャンプの窮状を訴えたことを咎められ、スリランカ外務省より国外退去を命ぜられている。エルダー氏は、8月中旬に数日間続いた大雨でキャンプの大部分が浸水したことを受け、その状況を国内外に広く伝えると共に、政府に対し有効な対応策をとることを求めていた。 これまで、国連やNGOの北部での支援活動を柔軟に受け入れていたスリランカの姿勢からすれば、あまりに極端な変化であり、とても信じがたい出来事だ。デリーのアジア人権センターのチャクマ氏は、「これは、国連やNGO職員に対し『タミル避難民についての状況は、一切口にするな』という明らかな警告だ」と危機感を示している。 <5> 流れ込むビジネス こうした状況を横目に、このところジャフナは慌ただしく経済復興の動きを見せているようだ。コロンボとジャフナを結ぶ唯一の幹線道路、A9ロードの開通により、人も物も徐々に南から入ってくるようになった。ジャフナ市内では、複数の銀行が競うように支店を開き、企業はビジネスの再開プランを立てるためにジャフナ入りし、ホテルは満室が続いているという。 内戦中は高騰していた物価も、ものによっては下がってきている。食品はまだまだ生活に支障をきたすくらい高いが、農業復興や商業の活性化にともなって、徐々に下がることが期待されている。
ジャフナの漁業マーケット/内戦中は市場に並ぶ品の数も減った
経済が活性化し、一見は平和の裾野がジャフナにも広がってきたように思える。しかし、先述のように政府の取り締まりが厳しい状況下では、結局は政府軍との関係性の中でしか物事が動かせない。ジャフナのタミルの人びとは、口をつぐんでいる。そして、その心の内は不安に満ちている。 2006年に難民申請をし、スリランカからカナダへ移り住んだ別の友人も、同じ不安を訴える。 「故郷に帰って、家族みんなと普通に暮らしたいと心から思うよ。でも本当に、あの長い複雑な闘いに終わりなんてあるんだろうか?これまで何度も停戦と再戦を繰り返して来たじゃないか。戦火が下火になる度に、なんとか生活を立て直そうとしてきた。それでも政府とLTTE間で火花が散れば、その努力が泡になる。ちょと目立ったことをすれば政府の監視がきつくなる。そういう思いを何度も味わってきたんだ。『終戦』と聞いて、手放しですぐに帰国することはできないよ。」 この友人は、ジャフナでは名の通った医師だ。若くして自分の診療所を持ち、停戦中だった2005年には、銀行に借金をしてでも新型の医療機器を導入しようと奔走していた。停戦状態が長く続くことを祈りながらの投資だった。しかし、導入できることになったその矢先、内戦の火が再燃した。ジャフナの医療充実に力を尽くしてきた彼も、家族の安全を第一に考え難民申請を決めた。 彼はいま、カナダで警備員の仕事をしなが日銭を稼いでいる。狭いアパートに独り暮らしだという。物価の高いカナダで妻と子ども3人を養うだけの給料は得られないと判断し、家族は先にスリランカに帰し、直接的な戦争の影響はないコロンボ市内に留まらせているそうだ。その状況を聞くにつけ、「平和」を安易に夢見ることはできないという彼の気持ちが痛いほど伝わって来る。 <5>これからのスリランカ ここまで書いてきて、随分光の見えないレポートになってしまったな、と思う。しかし、この状況の中でタミルの人びとが言いようのない不安を抱えているのは紛れもない事実。スリランカはこれから、シンハラとタミルの別なく、全ての国民が大なり小なり受けてきた内戦の傷を癒しながら、国の立て直しを図ることになる。それは、とても複雑で時間のかかる作業となるだろう。 先の見えない状況の中、わたしが希望を見出すのは、人びとの間の交流だ。LTTE健在の時代も、民間レベルでは北と南の間に多様な行き来があった。これから、商業、学業、旅行や支援活動を通して、人びとが個人として出会う場が増えていくことを期待する。そして、タミルの人びとが抱く抑圧への不安が、人と人との関係の中で薄れていくことを、あまりに楽観的かもしれないが、願わずにはいられない。<了>
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スリランカの今 - タミルの人びとが抱える不安 by 今成彩子/INDEPENDENT MEDIA [レアリゼ]は、 Creative Commons 表示-改変禁止 2.1 日本 License のもとでライセンスされています。ライセンスのより詳しい説明は、こちらをご覧下さい。