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前回は、幼児期に多言語環境にある子どもが、別々の言語を混乱させてしまい、どの言語も上手く使用することができなくなってしまうケースとその対策例を見ましたが、思春期以降になって問題の生じるケースがあります。
♦ 日本人とインドネシア人の家庭における言語教育(1)(インドネシア在住)
『3人の子どもはみな現地高で教育を受けており、家庭では日本語を話す。(3人の子どもの中でも、もともと言葉での表現が苦手なタイプの)長男が中学2年時に田舎から街の学校に移った時、ジャワ語、インドネシア語、日本語のどれもあまりできないことに気がついた。日常生活では問題がないと感じていたが。日本の夜間高校に通うようになってからは勉強が楽しくなったようで、日本語の読み書きも上達し、自分を日本人と感じているようだ。(多言語教育のための機関、制度、支援体制が)ないので、家庭での頑張りにかかっている。兄弟がいると皆が日本語を遣う環境になるのでより言葉をキープしやすい。』
どの言語も年齢レベルに達しない状態をセミリンガルと言いますが、このリスクは、海外在住の日本人の間では広く知られているようです。対策として次のケースのように、まず日本語をしっかり学習させる、という家庭が多いようです。
♦ アメリカ在住の日本人の言語教育
『ニューヨークに暮らす日本人家庭の場合、幼児期にまず日本語の基礎をしっかりつけることが、その後の英語環境での生活をスムーズに送らせるカギだという考えが浸透しており、ほとんどの家庭では土曜日の日本人補習校か、日本語の公文、あるいはそれに準ずる個人塾や家庭教師などを通して幼児期から日本語教育を行っています。』
これは「臨界期仮説(Critical Period Hypothesis)」という学説に基づきます。臨界期仮説とは、言語習得にも学習・習得可能な期間があるとするもので、第1言語習得の場合、筆者の知る限り、思春期を臨界期とする説が支持されています。
♦ ロンドン在住メンバーの私見
『10歳頃に言語体系が確立するといわれているが、実感と合致していると思う。どんな言語であれひとつのしっかりとした基礎言語が身に付いていれば、その基礎能力をベースに複数の言語を発達させることができるような感じを受けています。理由は、10歳以降に渡英している子どもたちを見ていると、読解力、会話力、理論的な作文力など様々な言語スキルを学校で学んでいますが、どちらの言語で学んだとしても両方の言語に適用しているようで、ひとつ習ってふたつに役立てるというようなことが起きているように見えるからです。』
セミリンガルって何だろう?
ところで、「セミリンガル」という言葉そのものに対する疑問の声もあがりました。半分を意味する「セミ(semi-)」という用語を使うことでマイナスのイメージを植え付けるのではないかという指摘。
また、完全ではないとはいえ、2つ以上の言語を使えるのだから、必ずしもマイナスだけではないはずで、むしろ「多様な能力」と評価できない社会の側の問題ではないか、という意見です。
♦ あるアメリカ在住日本人のケース
『話し言葉において、日本語の問題ないが、英語の発音は良くない。書き言葉では、英語が得意だが日本語が書けない。つまり両言語とも問題がある。両言語共に標準には達していないものの、2言語を使えることで有利な面もある。就職など問題がないとは言わないが、果たして「セミリンガル」ということになるだろうか?』
♦ ロンドンのメンバーの意見
『セミリンガルという言葉に違和感を感じました。親の人種が違う場合に、ハーフと呼ぶのか、ダブルと呼ぶのに似ていて、2カ国語を操る人をセミと呼ぶのかバイと呼ぶのかは、どの程度の語学力を求めているかによる感じがしました。例えば、日常会話力程度の語学力を2カ国語に求めるのか、それとも、論文を書いたり人前でプレゼンテーションができるような語学力を求めるのか、それぞれの人が想定している必要な語学力により、足りないと思ったり2倍あると思ったりするような気がしました。
南アフリカでお手伝いさんの仕事で生計を立てているある人は、十数カ国語を操ります。アフリカにある諸部族の言語を操り、英語を操り、フランス語を操り、(確かいくつかヨーロッパ諸国の言語を使えると言っていました)彼の仕事上、問題ない程度の語学力があるそうです。
学術的な書物を読む程の語学力はありませんが、でも彼は生きていく上で必要な道具として十分な語学力を身につけていると思いました。ハーフとかセミとか少ない感じをイメージする言葉が合わない気がします。』
第1回で注記したとおり(*1)、どの程度ならばセミリンガルなのか、どの程度の言語能力を有すればバイリンガルと言えるのか、学問的に定義されているわけではありません。
しかし、言葉が確立されないことで、学習能力や思考能力にマイナスの影響を及ぼす例もあります。例えば、筆者(せきじ)は、小学校における日本語教室のボランティア活動で、クラスメートと揉め事がある度に暴力を奮ってしまうベトナム人の男の子と出会いました。
彼は、ベトナム語でも日本語でも、自分の言い分を主張したり、怒りを言葉で表現したりできなかったために、すぐに手を上げてしまう傾向にあったのです。この時ほど、「ことば」のもたらす影響を感じたことはなく、継続的な言語教育支援の必要性を確信しました。
日本の公立小学校では、日本語を母語としない子どもに対して、日本語教室や国際教室という名のもと、日本語の指導を行う教室が設置されることがありますが、言語教育の専門家が担当教員として配置されることはほとんどなく、インテンシブに継続的な日本語指導を行うことは、ほとんど不可能な環境です(たとえば、筆者(せきじ)が関わった小学校では、年齢も日本語能力も母語の能力もそれぞれ異なる50名近くの児童に対して、普通クラスの教諭が2名配置されているだけでした)。
ただ、言語的なマイノリティに対して対策を取るだけでは、問題は解決しません。マジョリティである日本人側にも、文化や言語の多様性を認める姿勢が必要となり、そのような視点を教育の中で育成していくべきだと考えます。
異文化間教育(intercultural education)と呼ばれる双方向の学びを推進する分野では、マジョリティとマイノリティのそれぞれに対する施策の必要性を説いています。非日本語母語話者の子どもに対する日本語(可能ならば母語も…)の教育支援と、日本語母語話者の子どもに対して異文化や異言語に対する寛容性を養う教育のあり方は、今後日本社会に求められる「国際理解教育」の、一つの可能性といえるでしょう。
次回は、「多言語環境における親の姿勢」についてです。
※1 セミリンガルとは?
二言語環境にいながら、第1言語(母語)も第2言語も年齢レベルに達していない状態をいう。セミ(semi-)が否定的であるという意見から、<strong>ダブルリミテッド・バイリンガル</strong>という場合もある。セミリンガルは学問的に定義できるわけではないが、高度な学習の読み書きや認知面に問題を抱えるバイリンガルの言語状態は存在するといえるだろう。
Vol.1 多言語状況における言語習得の問題
Vol.3 多言語環境における親の姿勢
Vol.4 多言語教育を支える教育機関
Vol.5 多言語教育を容易にする文化
Vol.6 多言語社会とアイデンティティ(最終回)
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