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「ドイツ裸事情FKK対日本混浴(上)」 

*** 文化・東西南北 Vol.3 ***

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たかもとみさこ ドイツ・ベルリン
day
2002-09-13
 

外国に長く住みすぎると

 外国に長く住んでしまうと、日本で駄目だと教えられたことを平気でするようになってしまう。例えばドイツに長く住むと、サンダルに白い靴下を履いてうろうろしてしまう。あるいは、公の前で鼻をズビズバかんでしまうようになる。

 ドイツでは日本のように鼻をすすったりするのはとてもお下品なことで、そんなことをすると、知らないドイツ人に突然「ティッシュ差し上げましょうか」と話し掛けられてしまうのだ。

 それはつまり「まあ汚い!鼻なんてすすって!かみなさい!」と言うわけだ。

 同時に外国に長く住むと、日本で当たり前のことが何となくやりにくくなったりもする。日本人が描くドイツのイメージから程遠いベルリンも、最近日本人の若者が増えたせいか、ラーメン屋台ができた。それも週末だけ登場する屋台で、シックなイタリアンレストランの1角に現れる。

 飲み物はイタリアレストランのウェイターに頼み、ラーメンは屋台のお姉ちゃんに別々に注文する。炭酸が入ったヨーロッパ風ミネラル・ウォーターを飲みながら、ラーメンに胡椒をふるところまではいいのだが、どうしても周りが気になって「ズルズル」食べられない。お客の9割は白人で、イタリア料理を食べ、1割ほどの日本人と思われる少数派は、しょんぼりと、なるべく音を立てないようにしてラーメンを頂く。なんとも言えない光景である。

 ドイツでも北ドイツに長く住むと、裸で泳げるようになってしまう。日照時間が短いのもあって、ひどい時には公園でも、裸の人がごろごろ日光浴している。ベルリン一大きい公園「ティアーガルテン」では、そこらここらで裸の人が、友達同士でお話したり、一人で本を読んだりする光景が見られる。

 普通はビール腹のおじさんを見かけることが多いのに、ちょっとした角に入ると、鍛え上げられた裸体の数々に出会う時がある。そう、ゲイのコーナーに迷い込んだのである。

裸体とは近代化への反撥だ!    


 さて、この裸文化"Freikorperkultur"、略してFKKは一体何時から始まったのだろう。その始まりは、ドイツ帝国の頃(1871-1918)だ。裸になることで、自然に帰ろうとする運動が起こった。近代の反義語である「自然」はたいそう大きな意味を持つ。それが証拠に普通のヌーディストが、家でもどこでも裸になりたがるのに対して、FKKでは、自然の中で裸になり、自然を肌で感じるというのが重要なコンセプトだ。

 彼らは主に健康に気をつける菜食主義者であり、禁欲主義者であった。お腹がぶよぶよの裸ではいけない。スポーツを適度にし、健康な体でなければいけないのだ。当時はまだ全くの裸というのは見られず、男性もふんどしのような三角巾の布で下半身を隠していたという。自然に帰ろうというこのコンセプトは、政治的社会的思想からきていて、個の解放が社会の変革をもたらすと言われた。

 ワイマール帝国の頃(1919-1933)になると、FKKはその勢力を増して、団体の数も増え、イデオロギーも多様化した。帝国末にはどこかの団体に属しているFKKの人たちは10万人を超えたといわれている。こうした人気の影には、当時一般市民生活に及ぼしてきた近代化という歴史的背景が見られる。

 狭い暗い都会で、労働に明け暮れていた市民が、自然の中に行って、心も体も解放するという、反近代的な思想がここで生まれたのだ。衣服からの解放は、精神の解放だったのだ。

 しかしナチズムが台頭すると、FKKは禁止されてしまった。と、言っても「オフィシャルには、禁止された」というだけである。FKKが所謂左翼勢力のイデオロギーと繋がっているケースが多かったため、ナチスはその活動を抑圧したのだ。

 それが良い証拠に、プロレタリアート階級を中心とするFKK団体は、厳しく取り締まられた。同時にナチスは、FKK文化がもつ「健康美」を、自らの「アーリア血統の健康と強化」のために利用し始めたのである。

 当時のドイツのメディアで、所謂「健康もの」が流行ったのは有名な話だ。特に好まれたのは山登りを爽やかにこなす美しい女性の映画シリーズだ。清く美しいアーリア人をアピールするために、そういった映画と並んで、FKKも一役買ったというわけだ。

 1935年には、FKK文化は認められ、中でもSS(ナチス親衛隊)によってサポートされた。当時のFKKに関するポスターには、ナチスが好んで使ったカクカクした印刷文字で、健康美の重要さが説かれている。

 第二次世界大戦が終わると、FKKの扱いは西と東で分かれてしまう。西ドイツでは連合軍側の要請で、FKKは禁止され、裸で泳ぎ休暇を過ごすことは、性的モラルからいっても、下品なものというイメージが纏いつく。

 一方、何かとコントロールの厳しかった東ドイツでは、FKKは、唯一認められた市民運動となった。西ドイツでは、勢力を盛り返した60年代半ばになっても、FKKはもはや運動としてではなく、個人の自由として一般化されていったのである。 (つづく)


「ドイツ裸事情FKK対日本混浴(下)」

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