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誰もが自分らしく生きるために 第二話

~ 障害があることはかわいそうなことではないのです、でも・・・ ~

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桜子
day
2005-08-27
 

 何をもって幸せか、不幸せかとするのは、まったく自分の中の基準であって、 ひとつひとつの出来事自体には本来、幸不幸はなくニュートラルなものである。

 だから、息子が障害を持って生まれてきたこと、私がそれを引き受けて生きること、そのこと自体が不幸せとかかわいそうなことではない。

 むしろ、そういう特異な状況だからこそ出会えたものや人が、私や息子の希望の光になったことなど数え切れないくらいあるのだから、「今」という時間を精一杯生きよう。そういう前向きな気持ちで私は本(「わたしは息子から、世界を学んだ」VOICE)を書き上げた。

 当時、息子は養護学校中学部入学直前。まさにプレ思春期の頃であった。実は息子には、私をずっと悩ませている特徴がある。感覚過敏のひとつなのであるが、彼は「音」に異常に敏感なのだ。

 良くも悪くも耳が敏感なので、小さい頃から耳障りな音、例えば車のクラクションとか人の怒鳴り声などを嫌っていたが、小学5年くらいからその傾向がますます強くなっていった。一番困ったのが、他人が「咳やくしゃみ」をするとパニックになってしまうことであった。学校など集団で生活していくのに、その過敏さと折り合っていくのは本当に至難の技であった。特に電車やバスの中など、公共の場で人の咳込みを聞かないで済む方法はない。

  まさか一般の人には咳やくしゃみが原因で暴れてしまう障害があるなんて、理解の範疇を超えていることだろうから、私は言い訳も出来ず、ひたすら騒いだお詫びをしながら歩いた日々もあった。

  そういう過敏さが引き金になるイライラが、思春期を境に場所を選ばず爆発するようになり、学校でも友だちや先生に向かっていくこともままあった。

  イライラの捌け口は、当然常に一緒にいる私へも向けられた。というより、私にこそ憎しみがあるかのように、叩く、引っ掻く、掴みかかる、突き飛ばすという暴力がほとんど毎日繰り返された。私は顔といい、手足といいアザだらけ、傷だらけであった。母子ふたりだけの密室で何が起ってもおかしくない緊迫した状況に、相談する友人たちにも「もう限界だよ。そこまで頑張ることないよ」と背中を押され、やっとのことで心を決めた。

 中学を卒業したら親元から手離そう。それは私の身の危険があるからというのが直接のきっかけではあったけれど、息子はもう16歳になっていたからだ。

 昔なら15で元服。精神的には大人への道を歩き始める年齢である。知的な遅れがあると言動が幼く見えるので、ほとんどの人が誤解するのだが、彼の感性は世間の16歳とまったく変わらないのだ。16歳の少年のプライドがあり、自立心があるのだ。頭ではわかっているのに、今の生活環境の下では、どうしても親が息子の人生を乗っ取ってしまうことになる。精神的にも物理的にも。         

 息子の感覚過敏も、親(特に女親)をウザイと思いつつも、現実の生活では親を頼りにしなくては出来ないことが多いこととのジレンマが原因だったのではなかろうか。これは本当にかわいそうなことだったと思う。

 親が子どもの人生を丸抱えするしかないという、ほとんど受け皿のない状況がこういうかわいそうな状態を作ってしまう。親と子のそれぞれが、障害があるからと、自分なりの人生の選択をすることを諦めなければならないことだけはご免こうむりたいと決意できたのは、怪我の功名だったかもしれない。


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