|
意識の転換というハードル
人を上から見て指示を出す立場から、誰とでも対等だという意識に。仕事に打ち込み、社会を支えてきたという誇りを持つ男性が、退職後にそう気持ちを切り替えることに失敗することもある。
同じ会社の退職者同窓会などで、昔の部下に会うとつい上司風を吹かせてしまう。しかしそれでは、人の気持ちはついてこない。やがて一人浮くことになり、同窓会にも顔を見せなくなっていく。
井手がその点を難なくクリアできたのは、退職後の経験の賜物だった。
長年勤めた会社を定年になり、再就職した先は何の縁故もない会社。右も左もわからない中での再出発だった。立場もなにもない場で自分の仕事を築いていくには、否が応でも周りとのコミュニケーションが必要。今までの肩書きは意味のないものだと自覚せざるを得なかった。
自治会の評議員としてのボランティアの経験もおおいに役立った。
そんな中で自らに戒めてきたのは、「威張る」「面倒な仕事を人に押し付ける」「口だけ出す」はご法度だということ。誰にでも気軽に声をかけ、誰とでも胸を割って話ができる。それが井手が身に着けた『楽しく生きる方法』だ。
とはいえ、中にはそうはいかない場合もある。
公民館は自治会の中にあって自主的に活動しており、組織としては別なのだが、そこは人の集まり。どうしても摩擦が生じることもある。
公民館長として一番苦労した点はここにあると言っていい。
地域住民から預かった会費を使い、どうすれば皆に喜んでもらえるか考え動くことが自治会・公民館の仕事だと捉える井手は、それを「権限をもって仕事をしている」と考える人とはどうしても相容れることができない。
時には声を荒げて言い争いになり、
「言うことが聞けないなら、辞めさせるぞ!」
という言葉を投げつけられることもあった。
「やれるもんならやってみろ!」
と言い返したが、もちろん井手が辞めてしまえばとたんに困るのは誰もがわかっているのだった。
同じベクトルを持つ仲間
井手は、どうすれば公民館がもっと活発に活動できるかを模索した。市役所に問い合わせて、助成金を得るのに必要な企画や手続きについて一つひとつ調べ上げる。
そして毎月の恒例として、シニア向け、学童向け、幼児向けのサークルを立ち上げて後援。また地域に住む主婦たちの交流を図ろうと、毎月講師を呼んでの料理教室や手芸教室を企画。春日市が主催するスポーツ行事にも積極的に参加し、近隣の公民館とも盛んに交流した。
「人と人の触れ合う機会を提供する」― 井手が掲げたそのテーマに新役員たちは賛同し、活動をより良くしていこうと動く。歯車がかみ合った。
平成15年度になり、井手以外の役員は入れ替わることになった。新しい役員は、一緒に仕事をする館長が探さなければならない。退職してからこの地に住むようになった井手は、仕事上の人間関係も、昔からの友人も身近にはおらず、いざ頼もうと思っても誰に声をかけたらいいかわからない。最初は途方にくれた。
しかしなんとか一人決まるとあとはそこから糸が繋がるように人材が現れた。
やがて館長の指示を待たずに、各役員が自発的に企画する活動も出てきた。井手は関わる役員を信頼して任せることが多かったが、フリーマーケットの話には躊躇した。フリーマーケットを開くとなると、出店者も客も相当数集めなければならない。狭い須玖南地区内だけでは事が回らないのではないか。井手は「地域に根ざした公民館」という概念が崩れてしまうのを恐れた。
話が上がった年は見送ったが、その役員は諦めなかった。翌年は更に具体的に練った企画を提出。その熱意に、井手はついにGOサインを出す。地域の人々を中心に和やかに賑わったそのフリーマーケットは、『であい・ふれあいマーケット』として恒例行事になった。
その成功の秘訣は、企画した役員に「人と人の触れ合う機会を提供する」という目的がしっかりと根付いていたからに他ならない。
「相手を信頼すれば、相手の信頼も得る。年齢差は関係ない。大切なのは同じ目的を持っているかどうかどうかだよ。」
同じベクトルを持ったものが集まれば物事は大きく動き、活動も人脈も点から線とつながり、面へと広がっていく。年々発展する活動も、忙しくはあっても苦労ではなかった。
更に地域に根ざして生きる
役員の生き生きとした働きで活発に活動する公民館を見て、井手は自分のやるべきことをひとまず成し終えたことを知り、平成18年3月をもって公民館長を辞任。後進に役を譲った。
館長時代に得た友人とのつながりで、その後も市の『高齢者大学』『春日まちづくり塾』といった活動に参加し、忙しい毎日を過ごしている中でも気になるのは、地域の子どもたちのこと。
朝の散歩の道すがら、登校する子どもたちに「おはよう」と声を掛けてもなかなか返事が返ってこない。やっとか細い声で「おはようございます」と返ってきても、目は逸らしたままそそくさとその場を離れていく。
怪訝に思っていたが、子どもが巻き込まれた事件が報道されるとその傾向が強くなることに気づいた。子どもたちは大人を警戒しているのだ。
そこで井手は一計を案じた。
一緒に公民館役員をしていた知り合いに頼んで、子どもが見ても良くわかる名刺を作り小学校の校長室に持参。登校途中の子どもたちに配ることを校長に許可されると、毎朝自宅近くの交差点に立って、「おはよう!」という挨拶とともにその名刺を配り始めた。
この校区の小学校は集団登下校方式をとっている。最初、その登校班のリーダーにだけ配るつもりだったが、子どもたちは興味津々。「ぼくも!」「わたしも!」と欲しがり、1カ月に満たない間に150人もの子どもたちがその名刺を手にした。
そのうち、すっかり顔なじみになった井手を見つけると子どもたちのほうから「おはようございます!」と元気に挨拶するようになった。ある日、嬉しそうに駆け寄ってきた子どもがしっかりと井手の顔を見つめて
「井手達雄さん、おはようございます!」
と。びっくりするやら嬉しいやら。中にはもらった名刺を、デスクマットの下に大切にしまってある子どももいる。
出勤する親たちも、井手の姿を見ると丁寧に頭を下げて挨拶をするようになった。登校途中で見守ってくれる人がいるのは、ありがたいことだ。
「散歩のついでに始めたことだもの。自分ができることをやってるだけ。」
毎朝50~60回「おはよう」と言うと、自分の気持ちも清々しく体調もすこぶるいいという。
「心も体も健康になることを考えると、楽しいことが始まるんだよ。」
井手の人生は今満開だ。 (了)

燻し銀 地域に根ざして生きる vol.1
|