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『兵士と女王』 Der Krieger und die Kaiserin

ドイツ映画三昧 vol.3

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伊藤 幸
day
2004-09-05
 

日本ではなかなか触れる機会の少ないドイツ映画。 でも、ドイツにはハリウッドに次ぐ規模の大スタジオもあったりして、映画産業は実はとっても元気。 私の住んでいるベルリンでは、個性的なミニシアターもまだまだがんばっていて、良質なインディー作品もきちんと上映されています。 このコーナーでは、そんなドイツ映画の「いま」を、私なりにお伝えしてゆきたいと思っています。

第三話

『兵士と女王』 Der Krieger und die Kaiserin

――内側からの脱出――

 

 

 車の下敷きになり、いまや死の訪れを待つばかりとなった彼女のもとに、人影があらわる。いましがた窃盗をはたらき追われていたその男は、事故の混乱に紛れ、自らトラックの下に潜り込んだのだ。 男は、そこに倒れている彼女に気付き、彼女が呼吸できない事を知ると、一瞬姿を消すが、再び戻り、ナイフを取り出すと、彼女の喉を切り裂き、奪ってきたファーストフード店のストローを差し込み、血を吸い出す。

 鮮烈な赤。声にならない彼女の悲鳴。

 次の瞬間彼女は担架で病院の救急治療室へと運ばれている。見ず知らずのその男は、そのあいだずっと彼女に寄り添い、ストローから血を吸い出しつづけている。だがやがて、彼女の喉にはストローのかわりに医療機器が差し込まれ、不要となった男は担架から遠ざかる。彼の上着をつかんでいた彼女の手には、引きちぎられたボタンだけが残された。

 そしてそれが、男に対する彼女の深い想いの始まりだった。

 日本でも公開され、評判を呼んだ『ラン・ローラ・ラン』でドイツ映画界に新風を巻き起こしたトム・ティクヴァの二作目、2000年に公開された『兵士と女王』は、前作とはうって変わった、深い静謐と穏やかな優しさに包まれた大人のための上質な恋愛映画に仕上がっている。

 病院という王国 ―シシィ―

 寂れた郊外の精神病院で看護婦として働くシシィのもとに一通の手紙が届く。ティクヴァ作品特有のユニークなカメラワークが、この手紙をアップテンポで彼女の元に送り届けるところから、映画はスタートする。

 手紙が到着した場所は、シシィが生まれてからずっと暮らしつづけている、ドイツの小さな工業都市、ヴッパータール郊外の精神病院だ。この閉ざされた小さな世界の中で、患者たちのアイドルとして単調な毎日を送っているシシィは、内気で大人しい一看護婦であると同時に、彼らが築き上げている奇妙な小王国の「女王」でもある。

 しかし、「女王」とはいえ、患者とスタッフの足音ばかりが大袈裟に響く白い壁と、やけに丁寧に磨きあげられた廊下の中で、彼女の日々は、どこまでも終わりのない永遠の反復に鈍く淀んでしまっている。彼女は、あきらめたように、ただ黙々と与えられた義務をこなすばかりだ。閉ざされているのは、精神病院という「場所」だけではない。彼女自身もじっと自らの内側に閉じこもる事に馴れてしまっているのだ。

 大袈裟な演出や音響効果を一切省いたきわめてリアリスティックな描写でありながら、あるいはそれゆえに非現実感を帯びてしまう光景のなか、彼女の中にわずかに残っている、「生」への憧憬、とでもいったものが、当てもなく独り遊びしている。それは、「若さ」や「美貌」と言い換えることもできよう。それらは、いたずらに朽ち果ててゆくだけであっただろう。もしも、この先何も起こらなかったのであれば。だが何かが起こる。――ボドだ。

 過去という戦場 ―ボド―

 シシィを救った男、ボドは、丘の上の小屋に兄のヴァルターとともに身を隠すように暮らしている。ガソリンスタンドの爆発事故で妻を失った辛い過去を持つボドは、いまだにそのトラウマから癒えることができない。仕事を見つけてもやり遂げる事ができず、人と付き合うことなどもってのほか。ことある毎に過去に引きずり込まれ、自分を失ってしまうボド。やがてボドの居場所を探り当て、尋ねてきたシシィに、ヴァルターは語るだろう。

 「ボドはいまだにガソリンスタンドの便器の上に座ったままなのさ。だからここから早く出て行かなくちゃな。」

 そのために二人が計画しているのは、ヴァルターが守衛として務める銀行を襲撃することだ。

 かつて連邦国防軍の兵士であり、いまでも計画に供えて体を鍛える事だけは怠らないボドの殺ぎ落とされた肉体さながら、彼らの暮らす小屋も、必要最低限の家具だけの、部屋と言うよりそっけない作業室といった趣だ。中央に置かれた古ぼけた木のテーブルに、銀行の設計図を広げ計画を練る二人。眠ると悪夢に揺り起こされ、石油ストーブに頬を押し当てて涙を流すボド。そのたびにベッドから飛び起き、ボドを引き離し発作を鎮めるヴァルター。それが兄弟の毎日だ。

 過去から遠く離れ出ること――そのために遂に実行した銀行強盗は、しかし些細なミスで失敗する。二人は逮捕され、長い時間を監獄で送ることになるはずだった。もしもシシィがそこに居合わなかったならば。だが、シシィはそこにいた。そして、かつて彼が彼女を救ったように、今後は彼女が彼を救うのだ。

 人物の魅力

 恋愛映画としてこの作品を見るなら、その設定は、むしろありふれている。暗い過去を抱えた男と、単調な日常に溺れ掛けている女。二人の出会い、そして脱出。だが、そう言ってしまうには余りある魅力を、この映画は備えている。何よりも、人物描写がすばらしい。


 「映画の中で人物が思っても見なかった側面を見せるのが好きなんだ。それって、現実ではしょっちゅうあることなんだよね」


 あるインタビューの中でそう語った監督自身の言葉を裏切ることなく、ここでも人物は一筋縄では行かない、さまざまな表情を見せてくれる。あらゆる人物が個性的で、ステレオタイプがいない。中でも目を引くのは次の三人の入院患者たちだ。

 例えばシュタイニー。シシィに恋するこの無精ひげの青年は、シシィを「僕の女の子」と呼んではばからない。寝かしつけようとするシシィに自慰をせがみ、娯楽室でレコードをかけては、しきりに彼女をダンスに誘うシュタイニーは、「僕の女の子」を連れ去るべく現れたボドに激しく嫉妬し、殺そうとする。

 あるいはヴェルナー。突発的に暴力の発作に襲われるヴェルナーは、ある夜外出から帰ってきたシシィをいきなり張り倒す。脳の中の混乱が、彼に命令を下したのだ。自分をコントロールできないことを自覚しているヴェルナーは、自ら拘束してくれるように頼む。言語障害をも患うヴェルナーは、昼間は赤面しながら、どもり続ける気の弱い中年男に過ぎない。

 そしてオットー。幼い少女のような優しさを湛えたこの盲目の青年は、院内でもっとも彼女に近しい存在だ。二人は患者と看護婦を越えた姉弟のような情愛で繋がっている。シシィがボドを探しに行く決心を語る唯一の相手もこの繊細なオットーである。それだけに一層、シシィがボドゆえに病院を捨てようとする際に彼が受ける傷も深い。


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]『壁に向かって』 Gegen die Wand(独 2004年)
『演劇中毒』 Die Spielwutigen
『泣く駱駝の物語』 Die Geschichte vom weinenden Kamel

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