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オーストラリアの多文化主義とアイデンティティー |
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今日のオーストラリア多文化主義 イギリス系移民がほとんどだった当初はアイルランド人が、そして第二次世界大戦後にはイタリアやギリシャから大量移民した南ヨーロッパ系移民が、"エスニック"としてレッテルを貼られた。 1.2001年8月オーストラリアの海域内で433人の難民を乗せた船が沈みかけているのを、通りかかったノルウェーのタンパ号が救助、オーストラリアに向かったがオーストラリアは難民たちの入国を拒否。結局はオーストラリアが資金提供し、ナウルとニュージーランドが難民たちを受け入れることに落ち着いた。オーストラリア内で認定された難民に関しては自動的に保護義務が生じることから、庇護希望者の不法な入国を未然に防ぐもの。 2.Al-Hayat Arabic Newspaper Level 2, Suit 208 The Chase Centre 25 Smart Street Fairfield NSW 2165 phone: (02) 9728 9004 fax: 9728 9005 ABN 3.1991年のマケドニア共和国独立の際、その国名に関して隣国ギリシャが抗議、反対を唱えたが、この対立はオーストラリア内のギリシャ人コミュニティとマケドニア人コミュニティにまで波及し、関係は一時緊迫したものになった。また数年前セルビア系のサッカー選手がクロアチア・コミュニティのサポーターが多い相手チームとの試合で、三つ指を胸にあてセルビア軍の敬礼ジェスチャーをしたことから、クロアチアン・サポーターの反感を買い、選手に暴行を加えようと大騒ぎになった。このようにオーストラリア国内でエスニック・コミュニティ間の対立が起ることに憤りを感じている人も多い。 4.We Are All Boat Peopleのキャンペーン-オーストラリアのシンボルであるオペラハウスで。写真提供: We Are All Boat People (http://www.boat-people.org/) |
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