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しかしながら、実際に住み始めると様々な問題というのが出てくる。入居してから、当初のメンバーに何人かが様々な事情により、ピナカリを去っていった。そして新しいメンバーの意見やアイデアを取り入れながら、コミュニティーは常に進化していっている。
ロビンさんにお話しを伺っているとき、ちょうど遊びに来たジェニーさんは、厳密に言うとピナカリの住人ではない。彼女は別のグループでコハウジング実現を目指していたがうまくいかず、2年程前にピナカリに隣接する土地が売りに出されていると聞き、移り住んで来た。
「ピナカリは塀で囲まれてここからここまで、と閉鎖されたコミュニティーではなく、友人たちやビジョンを共有している人たちのコミュニティーでもあるのです」。安全でフレンドりーな生活環境を求めてピナカリ・コミュニティー周囲の住宅地に引越してきた人は、ジェニーさんだけではないということだ。

地縁・血縁で結びついていたいわゆる日本の農村型地域社会では、個人の自由よりも地域生活を円滑に進めていくことが重視され、また良くも悪くも昔ながらのしきたりや習慣、そして共通の文化的背景により、暗黙の了解というもの存在していた。ピナカリのような意図的に作られたコミュニティーにおいては、そのような《決まりごと》をゼロから作り上げていかなければならないという難しさがある。
ロビンさんやジェニーさんと話していても、決してすべてがスムーズにいっていると装うわけでもなく、問題点やその難しさも率直に話してくれる。あくまでも独立した個人の集まりであり、そこで意見の衝突があるのは当然で、それはむしろ健全なこと、とでも思っているように。
以前、住人の一人が西オーストラリア州の西南地域にしか見られないジャラの材木で作られた柵をめぐって、住人の間でちょっとした問題が起こったという。住人の中でジャラの原生林破壊反対の活動をしていた人がいて、この人にしてみればひどく軽はずみな行為に見えたのだろう。
「双方ともジャラ森林破壊は環境面から見ても反対である、と理念上は同意しているにもかかわらず、このときのリアクションの仕方によって、考え方がまるで違うかのような議論に発展していってしまったのよ。イデオロギーも大切だけど、何よりも良いコミュニケーション・スキルというもが本当に大切」とロビンさんは言う。ピナカリの語源はアボリジニ語で《深く聴き入る》という意味である。
60年代のヒッピー世代が作り出したコミューンは、既存の価値観や社会構造を否定することで、自分たちの価値観を実現させようとした異分子的な存在であった。それに対しコハウジング・コミュニティーの住人の多くはいわゆる主流のミドルクラスであり、社会とのつながりを持ちながら、彼らが実現しようとしている新しいコミュニティーの形を、広い社会においても積極的に推進していこうとしている。
ピナカリでも近所の住民や友人、訪問者たちにコミュニティーを開放して、夕食を共にするオープンハウスデーを毎月第1金曜日に設けている。また住人たちが積極的に様々な社会問題を考えるワークショップなども開いたり、昨年は世界難民デーにコミュニティー内で焚火を囲んでのコンサートを主催するなどした。
オーストラリアのコハウジングに関する資料を読んでいたとき、なぜオーストラリアでコハウジングがもっと広まらないかという理由に、環境問題を始め、社会正義や人権問題といった社会問題へのコミットメントを強調するが故、安全で、もっと暮らしやすい生活環境作りというシンプルなニーズを持つ一般の人には受け入れられにくいからではないか、という意見があった。

ロビンさん自身も持続可能な社会を目指す諸団体が集った月間イベントSustainable September を企画するなど、積極的に活動している。「ある意味こういったコミュニティーの姿に興味を持つということは、フォーカスやコミットの仕方は違っても、核となる考え方・価値観を共有している、ということじゃないかしら」とロビンさんは言う。本当の意味で豊かなコミュニティーというものを考えたら、環境や社会との接点が生まれてくる。
ピナカリというコミュニティー作りをロビンさんは「頑丈な煉瓦をひとつひとつ積み上げて確固とした形のあるものを作りあげるというよりは、らせん階段を登っていくようなもの。同じようなことを繰り返しながらもなだらかな階段をゆっくり進んでいくという感じ」と表現する。コミュニティー作りは最終的な完全なる形を目指すのではなく、そのコミュニティーの中でひとりひとりがどう暮らしていくか、どのように生きていくか、ということではないだろうか。
民主主義的話合いによる解決、持続可能な暮らし、異なる意見や考え方を認め合う寛容さ、他者との共存そして環境との共生、といった信条を日々の生活の中で実践していくことであり、個々の《生き方への姿勢》のようなものに対するコミットメントであるとも言えるだろう。
<ピナカリの歴史>
1991年 コハウジング実現を目指し、有志でピナカリを設立
1995年 州の公共住宅機構のコミュニティー・ハウジング・プログラムに助成金を申請、約百万ドルの助成金を受ける
1996年 州の公共住宅機構がハミルトン・ヒルの公共地2千平方メートルを公共住宅地として指定。ピナカリのメンバーが隣接する分譲地千平方メートルを私有住宅用に買収し、集合住宅地として認可される
1999年 メンバーが入居開始
オーストラリアのコミュニティバンク
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