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周りをぐるりと深い森に囲まれたその村には、ある掟があった。「その森に入ってはならない」。それはつまり、村の外へ出てはならないということを意味していた。-「シックスセンス」や「サイン」などの代表作で知られる、M. ナイト・シャマラン監督の最新作"The Village(邦題はヴィレッジ)"の舞台設定だ。金のために家族を惨殺されるなどの被害を受けた者たちが、自分たちが置かれた醜悪な現実社会を見限り、より理想的な環境で生きることを願って創った共同体。完全自給自足型の、"陸の孤島"のような村なのだ。
この作品はノンフィクションではない。しかし、幻想的とも言えない。なぜなら、世界には少なくとも形の上では、これに似た共同社会が数多く存在するからだ。日本の「ヤマギシ」、パラグアイの「メノニータ」、米国の「モルモン教徒」、ブラジルの「弓場農場」、……。
私の頭に真っ先に思い浮かんだのは、「新しき村」だった。86年前に、武者小路実篤を中心とする同士が創設した理想郷だ。
「新しき村」との遭遇
三年ほど前のことだ。埼玉西部の山へと日帰りハイキングに出掛け、帰途、東武東上線の駅を目指していると、2本の木でできたトーテムポールのような柱を見つけた。

茶色に塗られた柱のそれぞれに、白いペイントで、
「この門に入るものは自己と他人の」 「生命を尊重しなければならない」
と書かれている。
咄嗟に浮かんだのが、昔、実家の隣家の塀に貼ってあった「神は……」などの文言が書かれた、エホバの証人か何かの看板だった。宗教っぽい匂いを感じ、ひょっとすると、新興宗教の本拠地かも、と反射的に身構えた。
しかし、すぐに思い直した。宗教とのつながりはともかく、少なくともオウム真理教のようなカルト的、または過激な集団組織があるはずがないのは、冷静になってあたりを見渡せば一目瞭然だったからだ。
1995年の地下鉄サリン事件直後、私はオウム真理教を実態と事件との繋がりを探るべく、山梨県のカミク一色村や東京支部などの教団の施設を訪ねたことがある。その時に見た施設をひと言で表現すると、冷たく硬かった。が、この柱の向こうから漂っていたのは、どこか母親の胸を想わせる温もりだった。
幅員2メートルほどの小道がある。緩やかにカーブしたその小道を挟んで茶畑が広がり、その向こうには平屋の家屋が数軒見える。所々に柿ノ木が、枝を大きく広げていた。
なんとなくどこかの田舎にありそうな風景のような気もする。けれど、実際に同様の光景を探すのは容易ではないだろう。
なぜなら、今やどんなに田舎の集落であっても、道は極力直線となるように整備され、各家屋の周囲には大抵、塀や植木で奥が見えないようになっているからだ。少なくとも、超高齢化の進む過疎村である自分の故郷ではそうだ。
その後にわかったことだが、村の所有する田んぼも、基盤整備などの手を入れていない、水の流れなど自然が創った地形の中に、まるで"間借り"しているかのように、遠慮がちに広がっていた。
門をくぐり、中へと進んだ。門の前から見えていた家屋のほとんどが、最近では見かけることが少なくなった旧式の古屋で、周辺には多数の鶏舎が立ち並んでいる。村を囲むようにして田んぼが広がり、その脇を小さな用水路が流れている。そしてそれを望むようにして建っていた家の周りには、鶏が歩いていた。
その温もりの正体が掴めた。そこは、造りも暮らし方も、そして漂う空気も、自分が子供時代をすごした高度経済成長前の田舎そのものだったのだ。
以来その村の存在は、心の片隅で「オアシス」として残っていた。
そして、先日、私は三年経った村の今を見るべく、2回にわたり現地へと足を運んだ。

武者小路実篤と「新しき村」
「全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に生長させることを理想とする」
新しき村は、この精神を第一に1918年に、「友情」」や「真理先生」などの作品で知られる白樺派の作家、武者小路実篤とその同志によって創設された。現在の正式名称は、「財団法人 新しき村」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~atarasi/index.htm)。
当初、村は宮崎県の山間に、畑地1ヘクタール余り、草地3ヘクタール余り、草小屋一戸でスタートしたという。
しかし、20年後、県のダム建設により村の大部分が水没することになり、「どこか東京に日帰りでも往復可能な場所」ということで決まったのが、埼玉県毛呂山町にある新しき村だ。もともとの宮崎県の村を「日向の村」、そして毛呂山の村は「東の村」とも呼ばれている。
移転の補償金で得た1ヘクタール余りの土地を元に開墾が進められ、村は第二次世界大戦などの苦難をも乗り越えて今に至る。
開村のきっかけとなった武者小路実篤だが、彼自身は日向の村で7年間住んだだけで、東の村には一度も住んでいない。彼は、三鷹(後に調布)に居を構え、月に一度程度村を訪れて、共に働いただけだという。
約50年間村に住み続け、現在、新しき村美術館の館長をしている森田哲郎さん(79歳)によれば、
「この村は武者小路実篤あっての村ではないんです。実篤はここでは村外会員(村の精神に共鳴はするが、事情により村外で生活しながら会費を納めて村の建設に努める会員)の一人にすぎず、実篤がなくても村はあるのです。実篤自身もそれを十分にわきまえていて、私が記憶している限りでは、何事であっても実篤の一存で決まってしまうようなことは決してありませんでした。」
と、一般にとらえられているイメージとのギャップを強調した。
確かに、実篤は夫人と同じ1976年に他界した。にも関わらず、村は今でもれっきとして存続している。しかし、個人財産を全て没収されることで知られ、ピーク時に数千人の会員を有し、国内と海外を併せて30を超える村を創ったという「ヤマギシ」のような、カルト的な要素はないのだろうか?
この村の隣に1960年代以降建設された、毛呂山台団地の住人に評判を訊いた。
「大田区からここに越して初めて目の前に新しき村があることを知ったんだけど、全然悪く感じたことないわよ。一度も問題なんて起こしたことないし、私も何年間か村外会員になったくらい。武者小路実篤は知らなかったけどね。村でやってる体操に参加したり、野菜や卵を買いに行ったり。」
六十代の主婦はそう言い、その主婦と道路で立ち話をしていた四十代の主婦は、何度も頷いてから続けた。
「そうそう。私はいっつも犬の散歩で行くけど、この前なんか稲刈りをしていた男の人が『こんにちは』って元気に挨拶してくれて、気分よかったわよ。時々は野菜も買いに行くしね。みんなと同じだけど、たまたま農業をやってる人たちが集まっているって感じかな。ここに住んでいる人で村を悪く言う人はまずいないわね。」
その後、この二人の主婦は、稲が天日干しになっている田んぼと、その向こうにある新しき村の方を眺め、しみじみと言った。
「ほんと、ここはいいわよねぇ。」
私が感じた温もりは、意外にも多くの人に共通したものらしい。そして、同じ理想郷でも、シャマラン監督の"The Village"の村のように、「村の外に出てはいけない」という掟もなく開放的。カリスマ的な存在もないようだ。そういえば、村を目指していて付近に住んでいるらしき人に道を尋ねた時に、「新しき村」そのものを知らない人もままあった。それほどこの村がこの地に自然に溶け込んでいる、といえるのかもしれない。

迷えるユートピア~創設86年の「新しき村」~第三回
迷えるユートピア~創設86年の「新しき村」~第二回
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