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迷えるユートピア~創設86年の「新しき村」~第三回

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下平真弓
day
2004-12-04
 

過疎化と高齢化

 三年前に、私が初めてこの村を訪れた際、一番印象に残っていたのが一軒の古屋だった。村を囲むようにしてある田んぼとその用水路に隣接してある住居は、お世辞にもきれいとはいえない古屋だった。しかし、そこにあった情景に思わず我を忘れて見とれてしまった。玄関も窓も開け放たれ、中からは人の話し声が洩れ聞こえていた。そして玄関にも庭にも、「コッコッコ」と鳴きながら餌を探し回る鶏がいた。門前で感じた温もりが、じわっと全身に充満した瞬間だった。

 今回、その古屋は発見できなかった。いや、それらしきモノはあったのだ。けれど、そこには温もりはなかった。空家になっていたのだ。

 実際、今の村には空家が多い。鶏なき鶏舎も目立つ。

[1970年代後半には5万羽いた鶏も今は1万羽あまりに減った]

 1968年に開園し1984年には閉園した「仲良し幼稚園」の跡地には、当時親しまれていた都電の車輌がぽつんと置き去りにされていた。側面には、「理想郷行 あたらしきむら仲よし号」と書かれている。かつては村内でピアノ教室も開かれていたとも聞いた。かつてはそれだけ子供が多かったのだ。

 空家も幼稚園の閉館も、全ては会員の減少が原因だ。現在の村に、子供は1人もいない。
 その主なる理由は、
「一般に本を読む人が減り、武者小路実篤という作家すらも知らない世代が増えたからだ。」
 と、村外会員の1人は指摘する。

 しかし、それにしても不思議なことがある。村で育った子供たちの中で、成人して後に村に帰った例がないのだ。
 現在9人いる女性村内会員の1人に、河内洋子さん(69)がいる。24才の時に入村し、以来45年間村で生活し、この間に結婚し子供1人をここで育てた。59才の時に、ギリシャで開催されている「スパルタスロン」という大会に初挑戦し、250kmを36時間以内で完走することに成功し、今でもマラソンを趣味に、野菜作りや床屋さんなどの仕事をしながら村での生活を楽しんでいる河内さんは言う。

 「若い人がいなくても別にそれはそれでいいと思ってるわよ。誰かが『職がないので入ってきた』なんて言われたら、もっとさみしいもの。成人した自分の子供2人も村にはいないけど、全然さみしくないわよ。それぞれ自分の世界で活躍していて、それを聞くのが楽しいくらい。」

 過疎化傾向は、「新しき村」に限らず日本の農村全体に共通している。しかし、気になるのは、この村の場合はその傾向が際立っていることだ。その理由は、ここが封建的な昔ながらの村ではなく、86年の歴史はあっても「個」を尊重する「新しき村」であることの結果かもしれない。

 当然のことながら、広く入会を呼びかけることもなく、知名度アップの活動も、さほど積極的には行ってはいない。かろうじて4年前にホームページが開設されたが、それも村としてではなく会員が個人的に作成したものに過ぎない。

 例年9月中旬の日曜には村祭りが開催され、村外会員をはじめ、周辺地域から訪問者が集まって賑わう。今年は、去る9月19日に行われ、たまたま来訪していた元村外会員の家族に話を聞いた。かつて実篤と共に村の創設に尽力し、13年前に亡くなったある村外会員のご子息の妻と、その息子さんだ。

 「義父がこの村の会員で、そこまで熱心だったことを、私たちは生存中はまったく知らなかったんです。ムシャ先生の本は隅々まで読んでいたのは知っていましたけど、周りの誰にも会員になることも村にも誘うこともありませんでした。だから、知った時は驚きましたよ。」

 以来、この女性は3回くらい村を訪ねというが、息子さんを連れ立って訪ねたのは今回が初めてだという。陶芸の修行をしているという20代のこの息子さんは言った。
「おじいさんが死んだ後、本も読んだりして、『へぇー、そうだったんだ』って少しは興味持ってましたよ。で、村に窯があるって聞いて、ちょっと見たくなって来たんです。」

 他の村外会員も、一様にして「家族や友人を誘ったことなどない」と言う。
 かつて実篤が生存していた時には、実篤の著書があり、自然と村の存在や活動などが外部に伝わり、それを知って希望者が集まったのだ。意図せずして、広報が機能していたと言っていいだろう。

模索する理想郷行「あたらしきむら仲よし号」

 では、村全体が過疎化している村の現状を、それでよし、としているのだろうか? 村がこのまま超高齢化し、過疎化の一途をたどったならば、終いには村に1人も村人がいなくなり、ひいては村も無くなってしまいかねないのではないか?

 いつの時代も、誰にとっても、理想郷はあって欲しい存在だ。こんな時代だからこそ、余計に多くの人があって欲しいと願うのではないだろうか? 私が三年前に感じた温もりは、そんな想いからだったのかもしれない。しかし、理想郷の実現もそれを維持するも並大抵のことではないのだ。だからこそ「理想」なのかもしれないが……。

[理想郷行 あたらしきむら仲よし号]


 そうとはいえ、悲観的なことばかりではない。
 若年層が少ないとはいえ、ここ3年間に、前出の日比野さんをはじめとする20代から40代の男性が3人、新たに村内会員になった。
 日比野さんは言う。
 「村のことはだいぶ前から知っていました。でも、まだ存続していたと知ったのは2001年にホームページを見てです。それで5月には村を訪ねて、8月には入村しました。」

 日比野さんは米国で5年間哲学・宗教を学び、phDを取得した後に日本で教職に就いていたという。
 「最初に村を見た時、正直言って絶望しました。年寄りばっかで、活気がなかったからです。」

 では、絶望しながらもどうして入村したのか?
 「村を本来あるべき形に建て直したいと思ったからです。」
 入村して3年、日比野さんは今、くる日もくる日も鶏卵を洗っている。果たして建て直しは進んでいるのだろうか?

 「今考えていることは、この村を本当に生きるとはどういうことかを模索できる場にしたい。そのためにはどうしたらいいか、です。青少年でもサラリーマンでも、誰でも構わないから入ってきてもらって、そして体験の中で模索して、最後には出ていってもらって、各自がそれぞれその体験を活かして、この村の外にこの村のようなものを創っていくようになるのが理想です。」

 「そのためには、外に向けて広く存在を知ってもらう必要があります。ただ、今の村の状態では入村したい人を受け入れる体制も整っていません。だから、そこから始めたいと思っています。定例会などで、そんな話をすると、『40年住んでから言え』と言われることもあります。でも、自分としては村の精神に共鳴はしているし、この村で自分の理想を実現できるよう理解を求めている最中です。」

 また、美術館長の森田さんは言った。
 「こういった事態を憂い、このままではいけないという危機感を抱いている人もいます。新しい会員が中心です。古くからの会員は、同感している人もいれば、そうでない人もいて、いろいろです。ただ、かつてなら傾向として古くからの会員の意見が力を持っていて、新しい会員と対立するような事態になったりしたんですが、今は違います。対立ではなくて対話を進めています。」

 「月に2回行われている会合では、互いに言いたいことを言い、耳を傾け合って。古くからの会員は、新しい会員に全面的に賛成はできないけれども、また一方ではそれを押しつぶすこともできないでいます。これは進歩だと思います。過去にはなかったもので、86年の歴史の中で感じる大きな変化です。この先どうなるのかは疑問ですが……。ひとつだけはっきりしているのは、今、村は大きな曲がり角に来ているということです。」

 それぞれ別個におうかがいしたのだが、共通して言葉の奥に「新しき村」の精神が息づいているのを感じた。そして一瞬、理想郷を目指して走る「あたらしきむら仲よし号」が見えたような気がした。

 そういえば、前出の、元村外会員のおじいさんを持つ陶芸家志望の男性も、初めて村を目の当たりにした感想を次のように言った。

「今は自給自足に共感する若い人も結構多くなっているし、いいモノを作ろうとするにはこういう村もいいんじゃない? 多少は人も増える気がするんだけど。」

 今、「新しき村」は、より"新しき"村を創るべく模索している。この郷がいっそうの魅力と温もりを放つのは、時間の問題である。願いを込めてそう思えてならない。(了)

[村外会員が運営する白雲荘 休日には5冊100円でリサイクル本が売られている]


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