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子供たちに本を!~NGO『ラオスのこども』~
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| 2008-07-23 |
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日本の本をラオスへ
ラオスの町には本屋がない。いや、実際には外国人向けの本屋が一軒と、現地の人が利用する本屋が、私の知るかぎりでは一軒ある。だが、実際に本屋があったところで、どれだけの人が本を買って読むだろう。貧しくて本を買えない人が多いのは想像できるが、本というものに接する機会がほとんど無いために、そもそも「本を読む」ということ自体を知らない人が多いのではないだろうか。
「ラオスのこども」の前身「ASPBラオスの子どもに絵本を送る会」を立ち上げたのは、一人のラオス人女性だった。彼女の名前はチャンタソン・インタヴォンさん。日本でも本を出版されているので、ご存知の方もいらっしゃるのではないだろうか。彼女は大学へ留学のため日本に渡り、その後、日本で結婚。子供にも恵まれ、わが子に絵本を読みきかせるうちに、「自分の子供が楽しく読んでいるものをラオスの子にも」と思ったことが、この活動のきっかけだという。
活動の始まった1982年は、ラオスは革命後で何もない状態であったが、日本ではものがあふれていた。お子さんが通っている学校のPTAによびかけて、絵本や文房具や古着などを集めて、ラオスに送ったのが、はじまりだった。
今回の取材ではお会いすることは叶わなかったのだが、実は、チャンタソンさんその人を、私は一度ビエンチャンのカフェで見かけたことがある。初めてお顔を拝見したにも関わらず、どこかで一度会ったことのあるような懐かしさと、内から湧き出るパワーを感じたのを思い出した。(※チャンタソン・インタヴォンさんについては、ページ下部の関連サイトを参照)
今回、私は「ラオスのこども」ビエンチャン事務所に駐在している猿田由貴江さんからお話を伺った。

「ラオスのこども」の仕組みと現状
1982年に、チャンタソンさんと友人の数名の日本人が中心となり「ASPBラオスの子どもに絵本を送る会」を設立し、2002年に日本での法人格の取得に伴い、「特定非営利活動法人ラオスのこども」に名称を変更した。
現在、ビエンチャン事務所と東京事務所の二箇所で活動を行っている。私が取材に伺ったビエンチャン事務所には、猿田さんが常駐されており、日本との連絡役などをされている。ビエンチャン事務所には、彼女のほかラオス人スタッフ、日本人のボランティアが作業しておられた。
主な活動内容は以下の3つがある。
1.図書出版プロジェクト
ラオス語の作品や海外作品の翻訳をラオスで出版
2.図書配布プロジェクト
ラオス国立図書館の「読書推進運動」に協力し、子供たちに図書を配布
3.学校図書室プロジェクト
空き教室に本棚と備品と本を整備し、運営方法や読書指導を伝え、学校に図書室を作る
ほかにも、子ども文化センターの運営支援、学校の教員に対する読書推進セミナーの実施などがあり、ラオス人作家の発掘・育成も手がけている。(※団体の仕組みと活動の詳しい内容は、ページ下部の関連サイトを参照)
ここでボランティアをしている友人が、「すごい賞をとったんだよ!」と言っていたのを思い出し、猿田さんに聞いてみたところ、『IBBY朝日国際児童図書普及賞』を受賞されたとのこと。団体の活動が世界的に評価されたのである。ラオスという国自体が、ここ数年活気を帯びてきている今、「ラオスのこども」もまた、まさに大躍進中!という印象を受けた。(※ページ下部の関連サイトを参照)
少数民族の問題
ラオスは複数の民族から成り立っている国家で、使う言葉も文字も複数存在する。文字すらない民族もいるのだ。少数民族の一つであるモン族の伝統工芸品で、生活の様子を刺繍したタペストリーなどを目にするが、これは文字を持たない彼らが、口承ならぬ、刺繍で次代に自分たちの暮らしを伝えようとして始まったものらしい。
そういった少数民族の村の学校に本を広めるのは困難を極めるという。教師は全員ラオス語ができるが、たとえラオス語の読み書きができても、本を読むことに親しんでこなかった教師が多く、活動の意図を理解してもらうことも難しいそうだ。ラオス語のできる子供も当然少ない。ある地方の小学校では、「全校生徒のうちラオス語が読める子はたった一人でした」と、猿田さんは言う。
そういった子供たちが暮らす少数民族の村では、生涯を通して、その村から出ることなく過す人も多い。彼らに将来ラオス語が必要となる日が来るのかも分らない。貧しい村では、「本を買うなら、食料を買う。文字を学ぶより、家事を手伝え」そういった家庭も少なくないのではないだろうか。(2ページ目に続く)
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