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パリにあるパキスタン商店街
英国の旧インド領の一部だったイスラム教の国、パキスタン。核兵器を抱えて、宗教的にも相反する隣国インドとのカシミール紛争が絶えない上に、タリバンの残党との関係などから、世界から問題児扱いされている国。
そんな自国での争いと生活の困難から逃れるために、移民してきたパキスタン人たちが、パリに小さなパキスタン商店街を作っている。
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パリ10区、東駅からフォーブール・サン=ドニ通りを少し南下すると、「インド・パキスタン」と書かれた看板で通りが埋め尽くされる。
「インド・パキスタン」レストラン、「インド・パキスタン」雑貨屋、「インド・パキスタン」美容室、「インド・パキスタン」ビデオショップなどなど。ゆっくり歩いても10分もかからない一画だが、欧米のガイドブックにはリトル・インディアとして紹介されている。
でも、自称インド・パキスタンの店の多くは、パキスタン人が経営している100%パキスタニーな店なのだ。
「ヨーロッパでのパキスタンの評判はいまいち。インドという方がヨーロッパ人には神秘的なイメージを与えるらしいから、インド・パキスタンと名乗る方が商売になるのさ」と、この通りで一番おいしいと有名なインド・パキスタンレストラン「Sheezan」の従業員は言う。
レストラン内での彼らの会話がメニューを見ると牛肉があっても豚肉がないので、やっぱりパキスタンなのだとわかる。
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特にフォーブール・サン=ドニ通り脇にあるブラディ横丁(パッサージュ・パラディという200mほどのアーケード通り。雰囲気からあえて "横丁"と呼びたい)は、パキスタンからやってきた宝石やスパイス、フルーツ、カラフルな布でごった返している。店内にはコーランの壁掛けなどが置いてある。
わりあい物静かなインド人やスリランカ人とは違って、パキスタン人のレストランの呼び込みはかなり強引だ。フランスに移住してきたばかりの新米が呼び込みの担当らしく、フランス語もまともに話せないのに、勢いで客を無理やりテラスに座らせて注文をとる。
こういったパキスタン移民の多くは、許可書を持たない違法移民で、すずめの涙ほどの給料で楽な暮らしはしていないはずだが、彼らは常に明るく陽気で威勢がいい。パキスタンが抱えている様々な問題など、彼らからは想像できない。
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1947年に独立して以来、パキスタンでは不安定な政権と緊張した外交が続き、90年初頭の湾岸戦争以降から急激にパキスタンからヨーロッパにやってくる移民が増え続けている。
統計によるとパリとその郊外に暮らすパキスタン人は約一万千人。違法移民を推計すると、合計四万人のパキスタン人が存在すると言われている。
パキスタン人社会は横のつながりが強く、知人が一人でもパリにいれば労働許可書がなくても、レストランの呼び込みだけでなく、ビラ配りや偽ブランドのサングラスやベルト売りなどの仕事がすぐに見つかる。
パリ市内のパキスタン商店街の近辺にアパートを借りることは到底無理なので、パリ郊外で仲間同士で部屋を借りて寝泊りしているグループも多いらしい。そして朝早くからブラディ横丁付近で仲間と働き始める。
不法でフランスにやってきたパキスタン人のほとんどは、戦争や不安定な政権から逃れた難民としていずれは合法的に滞在を許可される。そのプロセスには時間がかかるが、仕事と寝る場所がある彼らは気長に待つことができる。
移民仲間
同じフォーブール・サン=ドニ通りを北駅に向かって北上すれば、徐々にインド人が多くなる。国同士の長い争いがあっても、フランスにやってきた移民という立場は同じ。それぞれインド人もパキスタン人も隣り合って平和に商売しているようだ。
デリケートなことかもしれないけど、と前置きして「インド人についてどう思う?」とパキスタン人に聞いてみた。
「宗教的な違いがあるけど、言葉や文化は似てるから、コミュニケーションはフランス人よりも簡単だね」という意外にあっけらんかとした返事に、なんだかかしこまって質問した自分が恥ずかしくなった。インド人はヒンズー語で、パキスタン人はウルドゥー語で話して、会話が成り立つそうだ。
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フォーブール・サン=ドニ通りは毎日にぎやかで、パキスタン人のみならず、買い物にやってくる近所の住民もその他の国の人々もみんな揃って、喧騒に負けないように大声を張り上げている。
移民として不安定な暮らしながらも、エネルギーいっぱいのパキスタン人。彼らの国の悲惨な状況もまったく感じさせない。あきらめか、開き直りか、無理して元気なふりをしているのか、パリでの生活は自国よりよっぽどましなのだろうか。
人生どうにかなるよ、そんな感じで飄々としたパキスタン人。それが彼らの強さなのだろう。なんとなく元気の出ない日は、ブラディ横丁で中辛のカレーを食べて、彼らにパワーを分けてもらうのが、最近の私のお気に入りだ。
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