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カレン人として生きるために (3) -フリー・ビルマ vol.7 -

あるカレン難民の物語

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菊池美菜
day
2006-12-20
 

日本での保障のない生活

 1991年5月、NAWさんは無事来日した。成田で出迎えたAさんと2ヶ月ぶりの再会を心から喜んだあと、二人は茨城県へ向かった。

 その1ヵ月後、NAWさんは、東京都紙屋町にあるオフィスビルで清掃員として働きはじめ、Aさんは、茨城県で仕事を続けた。NAWさんは、夜間は巣鴨にある居酒屋の洗い場でも仕事をはじめ、昼間はオフィスビル、夜は居酒屋の洗い場と休む間もなく働いた。

 Aさんは茨城県で、車のマフラーやフォークリフトの部品などの溶接の仕事を続けていたが、1年後に、池袋にあるフランス料理屋で働き始め、1993年からはラーメン兼居酒屋で働いている。1994年から、ようやく二人は都内で共に生活できるようになり、タイ・ビルマ国境で生活する親戚への送金もできるようになった。

 一方、オーバーステイ状態で国民健康保険に加入できない二人は、一度病院にかかると平均して約12000円、薬代として平均薬6000円かかる。2006年の今日でもNAWさん一家は、出来る限り病院へは行かないという。

 1997年3月、妊娠8ヶ月目を迎えたNAWさんは、お産のためにビルマへ帰国することになった。オーバーステイの場合は通常の2倍以上の料金を支払わなければならないため、日本での出産を諦めたのである。

 NAWさんは、入管へ出向き事情を説明、日本側では出国許可を得た。ヤンゴン空港にはオーバーステイの後で帰国した場合でも、問題なく入国できる秘密のルートがあるとされ、そのルートを使うための費用を日本円にして15~20万円、NAWさんも支払っていた。

 しかしヤンゴン空港に到着すると、カレン人(パスポート取得が難しい民族)が日本から帰国したことが原因で、厳しく検査された。 そして手荷物検査でかばんの中からNAWさんとNLD(National League for Democracy)のメンバーが写っている写真が見付かり、NAWさんは逮捕された。

 妊娠8ヶ月目のNAWさんは、男・女・病人が同室の留置所に2日間監禁された。保釈金10万5千ジャック(5~10万円程度)を支払った後、釈放されたという。

 同(1997)年5月16日、長男が誕生した。軍はNAWさんが日本から帰国したことを把握しているため、自宅をたびたび訪れ、米や金を要求した。

難民申請へ

 1998年6月、この状況に耐えられなくなったNAWさんは、ブローカーを通して新しいパスポートを入手し、再度日本を目指した。この時、日本に無事入国できた際には、ブローカーに電話で報告する、電話連絡がない場合、ブローカーはNAWさんが強制送還されたと判断し、ヤンゴン空港からタイ国境へ向かうための準備をすることになっていた。

 NAWさんは、問題なく再来日、ブローカーに電話を入れた。そのとき、ブローカーは、すぐに難民申請をするように、とアドバイスしてくれたという。

 2000年12月15日 長女誕生、2003年5月21日 次男誕生が誕生した。「子ども達が小学生になってから、難民申請をしたほうが認定されやすい」という弁護士さんからのアドバイスを受け、今年(2006年)難民申請をした。

  日本に初来日してから既に15年以上が経過している。
 帰国すれば迫害を受ける恐れがあるNAWさん一家が難民として認定され、日本で一日も早く安心した生活ができるように祈っている。(了)


カレン人として生きるために (2) -フリー・ビルマvol.6-
カレン人として生きるために (1) -フリー・ビルマ vol.5- 
フリー・ビルマ vol.4 "カレン・キャンプ"
フリー・ビルマ vol.3 "メソート再訪"
フリー・ビルマ vol.2 -メソートの学校-
フリー・ビルマ vol.1 "メソート"

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